いまあなたが救える命―ナニャンゲちゃんの心臓手術を支援する会 -16ページ目
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醍醐味!

こんばんわ、ナニャンゲ・レジーナちゃんの心臓手術を支援する会のひら委員をやってます、大阪産業大学2回生をやってます工藤です。僕は北田さんの熱いハートに感化されて、この会に入りました。


 僕も12日に行われた「あしながインド洋大津波遺児募金」に参加しました。関西で8ヶ所で行いましたが、なかなか通行人の方々の反応が良くありませんでした。募金に限らず最近はボランティアに対する風当たりが厳しいようです。しかし、そんな中でも寄付してくださった方々が多くいます。募金を入れてくれる時に「がんばって下さい」その一言がどれだけ心に染みることか。少しでも自分たちの意思が伝わっていると思える瞬間。その時「人って温かい」と肌で感じることが出来ることは素晴らしいことだと思います。その温かさを絶対に忘れずにいかなければならないと思います。そして、今度はその温かさをナニャンゲちゃんに集められるよう頑張っていこうと思います。

 

 早くも梅雨が中休みに入り、暑さに参っている工藤がお送りしました。

international summer camp for orphans

今日は、私、北田があしなが育英会の事業の中で担当している国際的な遺児の連帯をすすめる交流会(通称;国遺連)に、先のインド洋の大津波で親を亡くした子どもを招待するための募金をしていました。


このイベントは、海外の親を亡くした子ども、

例えばウガンダのエイズで親を亡くした子ども、

イラク、アフガニスタン、NYの戦災で親を亡くした子ども、

台湾やコロンビアなどの震災で親を亡くした子どもなど

16カ国100人の遺児を日本に招待して、心のケアプログラムをするという

国連級の壮大な夢のあるプロジェクトです。


その準備段階として、インドネシアの子どもたちを招待するための募金をしていました。

ニセ募金の影響もあるのか、世間の風当たりは少々厳しかったが、

たくさんの人たちが私たちの呼びかけに耳を傾けてくれていた。


夢のあるプロジェクトへの第一歩だ。

つぶやき。

 本会アートディレクターの赤石です。


 今週末あしなが育英会 主催の「インド洋大津波遺児募金」が関西で行われます。学生が慌ただしくしている中、「ナニャンゲちゃんの心臓手術を支援する会」もブログをプチニューアル。ナニャンゲの写真をUPしました。多くの人にナニャンゲを知ってもらいたいと思います。


 本日から関西は梅雨入りらしいです。テンパにはつらい季節になりましたが懸命に生きていこうと思います。ではまた。

私たち。

代表の北田です。

この活動、私の住んでいる寮の学生に協力してもらいながら運営しています。


私と一緒にウガンダにいったひと、芸術の勉強をしているひと、福祉の勉強をしているひと、私の話を聞いて何かしたいと集まってくれたひと、また、来年ウガンダに行ってボランティアをしたいという学生が集まっています。


私は、思います。遠い国でこんなにもたくさんの人に思われて、ナニャンゲはすごく幸せだなって。

今は、心臓病を抱えて身体的には苦しいかも知れない。

でも、誰かに幸せを願われながら生きていることは、限りない幸せだと思います。


協力してくれているひと、支援してくれている方々に感謝したいです。ありがとう。

これからも、たくさんの人の優しさに触れられることがすごく楽しみです。


現在、募金のための口座を申請し、郵便局からの通知まちです。

どんどん形になってきて、わくわくです。

はじめまして

今回、この支援活動を立ち上げた北田です。


まずは、私がナニャンゲの出会いについて話してみますね。


昨年(2004年)、私はアフリカのウガンダという国で、あしながウガンダという国際NGOでのエイズ遺児の心のケア支援のボランティアと、小児科エイズ病棟でのボランティアをしていました。


彼女は、あしながウガンダに登録されている遺児でした。あるとき、彼女のおばさんが私のボランティアしている病棟にやってきた、「There is your friend.」と伝えてくれた。

初めは、何のことか良くわからなかったが、心臓病を抱えているナニャンゲのことを思い出した。


休憩のときに、私は彼女の病棟を訪れた。

狭い狭い部屋に、何十人もの子どもたちがベットに横たわっている。器具も薬も十分にない中で、医者や看護師の人たちは、ところ狭しと動き回っている。


そんな中、彼女は、しんどそうにベットに横になる、ナニャンゲがいた。

彼女と、正面向いて話したのはこのときが、初めてだった。

見舞いにきた私を歓迎して、少し体を起こしてくれたが、すぐにまたベットに体を戻した。


あの病棟を思い出すたび、何かをしなければいけないんだって感じていた。

そして、彼女のおばさんが私たちのことを友だちとよんでいたから。

ともだちのためには、何かしたいという思いが、この活動を始めた最初のキッカケだった。

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